ガキの異文化交流
- 投稿日:2018年11月02日
- 作成者:
- カテゴリ:少年時代
子供時代から多様性を感じていました。
小学校時代にもっとも仲が良かったのは学校の友達
よりも近所の外国人一家の子どもたちでした。
彼らと一緒に近隣の同世代のガキを集めて日が暮れる
まで泥だらけになって遊んでいました。
生まれ育った神戸市の舞子は、海山に囲まれていて
遊びの場としては最高の立地でした。
自宅前は当時空き地で、ガキにとっては楽園。
☑鬼ごっこ、
☑かくれんぼ、
☑基地ごっこ、
☑忍者ごっこ、
☑キーハンターごっこ
☑野球
☑空手ごっこ
でいつも泥だらけで傷だらけ。
大雨の翌日には空き地全体が大きな池のように
水が溜まって頭から飛び込んだり、アメンボ、
ゲンゴロウを追いかけて上下の服はボロボロ。
帰宅して母親に、
「なんべん同じことをすんねん!自分で洗濯せえ!」
とシバかれる(怒られる)のが日常でした。
その頃、色々な国の外国人の子供と接することで考え
させられることがありました。
それは、彼らの強く純粋な愛国心です。
日本に暮らしながらも純粋に祖国を敬い愛しているのです。
”大きくなったら祖国に貢献できる大人になりたい!”
と目をキラキラさせながら話す彼ら。
当時の日本のガキには愛国心という概念がありません。
そもそも学校では、愛国的な発想は徹底的に疎外されて
いたように思います。
日の丸や君が代を否定するような教師も残念ながら
存在していました。
祖国を純粋に愛する気持ちは子供心にも羨ましく大切だと
感じていました。
中学校に進学する頃から彼らとの付き合いは激減して
しまいましたが、今でもガキの頃に異文化交流が
できたことは僕にとって財産になっています。
現在、海外の毛髪製品会社の方々との取引を通して当時の
経験が少なからず生かされていることに気付かされます。